坂口 裕昭

2005年に開幕の産声を上げ、これまで11年の歳月を重ねてきた四国アイランドリーグplus。選手・指導者たちが「投げて、打って、守って、勝利を目指し、夢のNPB入りを実現させる」ために日々闘い、リーグ・各球団が地域に根付き、寄り添い、関係性を高める中で、様々な人生模様と化学変化が繰り返され、数多くの価値が生まれ続けている。

では、その「価値」とはいかなるものなのか。四国アイランドリーグplus公式HPでは現在、四国アイランドリーグplus事務局長を務める坂口 裕昭のインサイドな目線とエピソードから、それらの価値を紹介していきたい。

第1回は徳島インディゴソックス代表を務めていた際に出会った2人の若者たちの過去と現在から感じたものを記していく。

名もなき花が咲く頃に

ゲームセット。勝利チームの選手たちが、一人また一人とマウンド付近に集まってくる。笑顔で祝福のハイタッチが交わされる。スタジアムを支配していた緊張感は緩やかに後退し、グラウンドには早春の涼やかな風が漂っている。
そんな窓越しの光景に目を細めていると、役員室の扉を叩く音がした。入ってきたのは、一昨年まで四国アイランドリーグplus(以下「四国IL」)に所属する徳島インディゴソックス(以下「徳島IS」)でプレーしていた吉村旬平と河野章休。仕事が終わった後、スタジアムに駆けつけてくれていたのだ。

思い返せば、私が初めて二人と出会ったのは、吉村が20歳、河野が19歳を迎える時だった。当時のことは昨日のことのように覚えている。吉村はやんちゃ坊主そのもの。明るくてチームメイトからも愛される憎めない存在だったが、鼻っ柱が強く、入団当初は練習や試合に遅刻することもあった。逆に、河野は寡黙で内気。そして、どこまでも生真面目な性格。厳しいプレッシャーの中で潰れてしまわないか、いつも心配していた。

神奈川県出身の吉村は、高校卒業後、それまで縁もゆかりもなかった徳島へやって来た。徳島ISに入団した当初は練習生。試合に出ることすらできない日々が続いた。しかし、3年目のシーズンに類い稀なる身体能力を活かして頭角を現すと、瞬く間に有力なドラフト候補としてスカウトたちの注目を集めるようになった。
右投げ左打ちの外野手。俊足と強肩、強打で限りなく夢の舞台に近づいたものの、全国に数多い同タイプのエリートたちの壁は高く、あと一歩のところでその壁を越えることができなかった。いや、実際は越えていたのかもしれない。しかし、現実というものは、どこまでも厳しい。一度ならず最終候補まで名前は挙がっていたにもかかわらず、ドラフト会議の場でセ・リーグやパ・リーグの球団から名前を呼ばれることはなかった。ドラフト会議終了後の吉村の背中。私は一生忘れることがないだろう。

徳島ISが球団創設から10年目にして初めて独立リーグ日本一に輝き、自身も過去最高の成績を残した入団5年目のシーズン終了後、吉村は自らの夢に終止符を打った。