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四国アイランドリーグplusの若者たちの誰もが憧れ、目指す場所。「NPBドラフト指名」2016年、最初に勝ち取ったのはこの右腕であった。
福永 春吾・22歳。185センチ89キロの恵まれた身体を利した右腕から放たれるストレートは最速152キロ。宝刀スライダーをはじめとする変化球の切れ味も鋭く、徳島インディゴソックス入団1年目となる昨年は106奪三振で最多奪三振賞を獲得。今年も81奪三振で2年連続の最多奪三振賞受賞、防御率2位の1.38。そして年間グラゼニ賞初受賞と、完全にリーグを代表する存在にまで成長した。
では、そんな彼の実像とは?四国アイランドリーグplus公式HPでは福永 春吾の野球史や思考を余すところなく紹介していく。第1回は波瀾万丈だった徳島インディゴソックスまでの野球史について。

一度はエリート街道に乗るも、味わった大きな挫折

――まず、野球をはじめたきっかけから教えて頂けますか?
福永 春吾投手(以下、福永) 父がクラブチームでソフトボールをしている試合を幼稚園で見たのがきっかけ。大阪府高槻市立高槻小1年生のとき、軟式野球チームの高槻タイガースに入団しました。2年生のときからライトで低学年チームの試合に出場しはじめて、セカンド、サード、ショート。最後はキャッチャーです。
小学校卒業時には163センチと身体が大きかったことからキャッチャーをしたんですが、キャッチャーも楽しみながら「ピッチャーもしたいな」と思っていました。

――中学校は硬式野球だったそうですね。
福永 最初は高槻リトルシニアに入団したのですが、高槻市立第一中2年の冬にチームが別れて、僕らは新設された高槻ボーイズに移籍しました。ここで自分から投手を希望して投手になったんです。
高槻ボーイズは半年間でローカル大会準優勝を取れるくらいのチーム。僕はストレートでガンガン押して、スライダーで三振を取りに行く投手でした。

――当時の憧れの投手は誰になりますか?
福永 今もずっと憧れていますが、埼玉西武ライオンズ時代の涌井 秀章(現:千葉ロッテマリーンズ)さんです。制球力もよくて、ストレートもギアを変えて投げられる。そこを目指していました。

――ちなみに、中学校時代の球速は?
福永 中学3年の時にMAX138キロ。下半身から安定させるために毎月100km~150km走っていたら、2年の夏に3カ月で10キロ球速が上がったんです。萩谷球場周辺の坂道を走っていたら、さらに1年間で伸びた感じですね。

――こうなると、当然周辺の高校からお誘いがあったと思います。
福永 はい。地元で一番熱心に声をかけてくれた金光大阪高校に進みました。最初はハードな練習でしたが、徐々に慣れて1年夏に「18」でベンチ入り。1年秋には「1」を頂き、2年春は「17」・2年夏には再び「1」になりました。
1年秋は府の5回戦大阪桐蔭と対戦して、来年から阪神タイガースでチームメイトになる藤浪 晋太郎投手に投げ負けています(1対8)。

――当時の藤浪 晋太郎投手の印象は?
福永 球速は140キロ前後でしたが、とにかくデカい。それと阪神タイガースに入団した西田 直斗さんの印象が強かったですね。
とにかく、大阪桐蔭や履正社を倒さないと近畿大会にいけない。そんな状況でした。

――ただ、福永投手はここからが大変でした。
福永 2年の夏、大阪府大会直前に右ひじにけがをして大会は外野手。2年秋も「1」を頂きながら、龍谷大平安(京都)戦に投げたらけがが再発して外野手。しかも僕は左打ちなので、右ひじに負担がかかって。そして転学……しんどかったです。