サブロク 双亮投手

4月10日(日)の読売巨人軍3軍との定期交流戦でついに四国アイランドリーグplusデビューを飾った愛媛マンダリンパイレーツのサブロク 双亮(本名:杉浦 双亮)投手。
お笑いコンビ「360°モンキーズ」と野球との二刀流、かつ40歳でのプロ野球挑戦で話題を集め、様々なメディアで取り上げられる一方で、これまでの野球経歴や野球思考が語られたものはほぼない。

そこで四国アイランドリーグplus公式HPでは彼の野球経歴や芸人としての「プロ20年」に裏打ちされた野球理論について3回に渡りスポットを当てることにした。前編は野球をはじめてから帝京高校までの野球経歴について。

杉浦 双亮「八丈島」発で帝京の門を叩くまで

――まず、野球をはじめたきっかけから教えて頂けますか?

サブロク 双亮投手(以下、杉浦) 東京都八丈町立三根小のとき、野球が好きだった父とのキャッチボールがきっかけです。そこで野球が大好きになって、小学校4年の時に三根ジャガースに入団しました。そこで5年生まで過ごしてから家族が引っ越しになって、埼玉県大宮市立(現:さいたま市立)上小小の時に、上小ジャイアンツに移りました。今では大宮スプリンターズと合併して、大宮ツインズになっていますが……。
八丈島ではなかなか試合ができませんでしたが、ここに来て毎週試合ができるようになりましたし、投手としての楽しさを覚えました。

――ここでの経験がまず大きかったのですね。

杉浦 僕が転校してきた時にはすでにエースがいたので、レフトをしながらエースを奪いにいってエースにもなりました。ここではじめて競争をしました。
当時の上小ジャイアンツはAとBが組めるくらい人数がいて。Aはいわゆる一軍。Bは二軍なんです。そこで朝練に来ないとAからBに落とされるんですが、僕はなかなか朝に起きられず……(笑)。主力が2~3人落ちてBチームがAチームより強くなることもありました。そこで色々な投手を見て、周囲にそんないい投手に出会わなかったと思えたことも自信になりました。

――中学は東京都渋谷区立松濤中に進みます。ここでも軟式野球部ですか?

杉浦 そうです。エースでした。チームは9人ギリギリやいても15人くらいだったので、区の決勝戦くらいまででした。

—―そこから一般受験で帝京高校に入学し、野球部の門を叩くことになります。

杉浦 当時は無名だった聖望学園(埼玉)からもお誘いがあったのですがプロ野球選手を目指す上で「帝京の方がいい」ということで進みました。